2015年9月2日 星期三

[言論] 日相安倍晉三戰後70周年談話全文(官方中譯)

日文原文- http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

二〇一五年八月十四日
內閣會議決定

正值戰爭結束七十周年之際,我們認為,必須平靜地回顧走向那場戰爭的道路、戰後的進程、二十世紀那一時代,並從歷史的教訓中學習面向未來的智慧。

一百多年前,以西方國家為主的各國的廣大殖民地遍及世界各地。十九世紀,以技術的絕對優勢為背景,殖民統治亦波及到亞洲。毫無疑問,其帶來的危機感變成日本實現近代化的動力。日本首次在亞洲實現立憲政治,守住了國家獨立。日俄戰爭鼓舞了許多處在殖民統治之下的亞洲和非洲的人們。

經過席捲全世界的第一次世界大戰,民族自決運動的擴大阻止了此前的殖民地化。那場戰爭造成了一千多萬死難者,是一場悲慘的戰爭。人們渴望和平,創立國際聯盟,創造出不戰條約,誕生出使戰爭本身違法化的新的國際社會潮流。




當初,日本也統一了步調。但是,在世界經濟危機發生後,歐美各國以捲入殖民地經濟來推動區域經濟集團化,從而日本經濟受到重大打擊。此間,日本的孤立感加深,試圖依靠實力解決外交和經濟上的困境。對此,國內政治機制也未能予以阻止。其結果,日本迷失了世界大局。

滿洲事變以及退出國際聯盟——日本逐漸變成國際社會經過巨大災難而建立起來的新的國際秩序的挑戰者,該走的方向有錯誤,而走上了戰爭的道路。

其結果,七十年前,日本戰敗了。

正當戰後七十周年之際,我在國內外所有死遇者面前,深深地鞠躬,並表示痛惜,表達永久的哀悼之意。

由於那場戰爭失去了三百多萬同胞的生命。有不少人在掛念祖國的未來、祈願家人的幸福之中捐軀。戰爭結束後,也有不少人在嚴寒或炎熱的遙遠異國他鄉苦於飢餓或疾病之中去世。廣島和長崎遭受的原子彈轟炸、東京以及各城市遭受的轟炸、沖繩發生的地面戰鬥等等,這些導致了許許多多的老百姓悲慘遇難。

同樣,在與日本兵戎相見的國家中,不計其數的年輕人失去了原本有著未來的生命。在中國、東南亞、太平洋島嶼等成為戰場的地區,不僅由於戰鬥,還由於糧食不足等原因,許多無辜的平民受苦和遇難。我們也不能忘記,在戰場背後被嚴重傷害名譽與尊嚴的女性們的存在。

我國給無辜的人們帶來了不可估量的損害和痛苦。歷史真是無法取消的、殘酷的。每一個人都有各自的人生、夢想、所愛的家人。我在沈思這樣一個明顯的事實時,至今我仍然無法言語,不禁斷腸。

在如此重大損失之上,才有現在的和平。這就是戰後日本的出發點。

再也不要重演戰禍。

事變、侵略、戰爭。我們再也不應該用任何武力威脅或武力行使作為解決國際爭端的手段。應該永遠跟殖民統治告別,要實現尊重所有民族自決權利的世界。

我國帶著對那場戰爭的深刻悔悟,作出了如此發誓。在此基礎上,我國建設自由民主的國家,重視法治,一直堅持不戰誓言。我們對七十年以來所走過的和平國家道路默默地感到自豪,並且今後也將繼續貫徹這一堅定的方針。

我國對在那場戰爭中的行為多次表示深刻的反省和由衷的歉意。為了以實際行動表明這種心情,我們將印尼、菲律賓等東南亞國家以及台灣、韓國、中國等亞洲鄰居人民走過的苦難歷史銘刻在心,戰後一直致力於這些國家的和平與繁榮。

這些歷代內閣的立場今後也將是堅定不移的。

不過,即使我們付出多麼大的努力,失去家人的悲哀和在戰禍中飽受塗炭之苦的記憶也決不會消失。

因此,我們要將下述事實銘刻在心。

超過六百萬人的戰後回國者從亞洲太平洋的各地總算平安回國,成為重建日本的原動力。在中國被殘留的接近三千人的日本兒童得以成長,再次踏上祖國土地。美國、英國、荷蘭、澳大利亞等國家的被俘的人們,長期以來訪問日本,祭奠雙方的戰死者。

飽嘗戰爭痛苦的中國人、以及曾經被俘並遭受日軍施加難以忍受痛苦的人做得如此寬容,他們內心的糾葛究竟多麼大,付出的努力又是多麼大?

我們必須將此事掛在心上。

戰後,如此寬容的胸懷使得日本重返國際社會。值此戰後七十年之際,我國向致力於和解的所有國家、所有人士表示由衷的感謝。

現在我國國內戰後出生的一代已超過了總人口的80%。我們不能讓與戰爭毫無關係的子孫後代擔負起繼續道歉的宿命。儘管如此,我們日本人要超越世代,正面面對過去的歷史。我們有責任以謙虛的態度繼承過去,將它交給未來。

我們的父母一代以及祖父母一代在戰後廢墟和貧困深淵中維繫了生命。他們帶來的未來是可以讓我們一代繼承,且交給我們下一代。這不僅是前輩們不懈努力的結果,也是曾經作為敵國激烈交火的美國、澳大利亞、歐洲各國以及許多國家超越恩仇提供善意和支援的結果。

我們必須將此事告訴未來的一代。將歷史的教訓深深地銘刻在心,開拓更加美好的未來,為亞洲及世界的和平與繁榮而盡力。我們擔負著這一重大責任。

我們繼續將謀求以實力打開僵局的過去銘刻在心。正因為如此,我國繼續奉行的是,任何爭端都應該尊重法治,不是行使實力而是以和平與外交方式加以解決的原則。這是我國今後也將堅持並向世界各國推廣的原則。我國作為經歷過原子彈轟炸的唯一國家,追求實現核不擴散和徹底銷毀核武器,在國際社會上履行自己的責任。

我們繼續將在二十世紀的戰爭期間眾多女性的尊嚴與名譽遭受嚴重傷害的過去銘刻在心。正因為如此,我國希望成為一個國家要時刻體貼女性的心。我國將在世界領先努力將二十一世紀成為不讓女性人權遭受侵害的世紀。

我們繼續將區域經濟集團化促發糾紛萌芽的過去銘刻在心。正因為如此,我國努力發展不受任何國家恣意影響的自由、公正、開放的國際經濟體制,加強對發展中國家的支援,牽引走向更加繁榮的世界。繁榮才是和平的基礎。應對暴力溫床的貧困,為全世界所有人享受醫療和教育以及自立的機會而做出更大的努力。

我們繼續將我國曾經當過國際秩序挑戰者的過去銘刻在心。正因為如此,我國堅定不移地堅持自由、民主主義、人權這些基本價值,與共享該價值的國家攜手並進,高舉「積極和平主義」的旗幟,為世界的和平與繁榮做出較之以前更大的貢獻。


我們有決心,面向戰後八十年、九十年以及一百年,與我國國民各位共同努力建設如上所述的日本。


平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣  安倍 晋三



終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。


平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣  安倍 晋三